死生観とは生と死についての考え方です。
2歳児くらいになると、
「生きてる」「死んでる」と言葉にしたり、
理解しているようにみえる場面もありますが、
動くか動かないかの違いや、
一時的な離別(どこかへ行ってしまう)と
単純な認識によるものです。
心理学的には、
命の不可逆性(=死んだら生き返らない)
を理解するのは
小学校低学年~中学年くらいのこと
だと言われています。

先日園庭で、ヤモリの命を殺めてしまう
悲しい出来事がありました。
ふらりと園庭に現れたヤモリ。
観察のためという理由で、
突然狭い虫かごに閉じ込められ、
わずか数日後に
命尽きることとなってしまいました。
ピンク色のお腹をした小さくて
柔らかいその命。
名前を付けてもらうこともなく、
あるはずだった時間を
奪われてしまったことに
涙をこらえきれませんでした。
しかし、泣いている場合ではないのです。
これは一大事。
飼育を始めた保育者が
管理しきれなかったことは
一番の反省です。
しかし、子どもたちにも何か、このままで
済ませてはいけない気がします。
就学前の子どもに
育まれなけらばならないことの一つに
「生命の尊さに気づく」
という課題があるからです。

私たちは、この出来事を重くとらえ、
目の前の子どもたちに
できることの全てを考え、
行動しなければなりません。
命に関連する絵本を読もうが、
命の大切さについて
いくら言葉をならべようが、
それでは物足りず・・・難しすぎれば
伝わりません。
身近な大人が死をきちんと悲しみ、
生身の感性で悼み、
子どもたちなりに感じたり、
考えたりするきっかけを
作りたいと思いました。
ふじのもり保育園の園庭には今、
ヤモリのお墓があります。
そこに毎日、お水を供え、お線香をたて、
弔いと謝罪の気持ちを込めて
手を合わせています。
基本的には私がします。
子どもたちにはあえて、
当番制にしたり促したりすることは
していません。
長期的な試みですが、
子どもたちの心の芯の部分に、
ほんの少しでも響くことを
願っています。

個々の発達にかかわらず、
思春期には多くの子どもたちが
何らかの形で命や死について
考える時期になります。
それまでに、健全な死生観が
身についていないことで、
今様々な問題が起きています。
どうかここに育つ子どもたちが未来に、
自分の命を輝かせ、他の命をも大切にすることが
できる大人になること祈っています。